一流の選手たちが揃うプロ野球の世界にも、イップスに苦しめられた男たちがいます。それが原因で、守備位置をコンバートさせられたりもすることもあります。この記事では、イップスに苦しみコンバートされた男たちを紹介します。
内野失格からワールドチャンピオンへ!”田口壮“
1991年のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブと日本ハムファイターズから1位指名を受け、抽選の末、オリックス・ブルーウェーブに入団が決まった田口は、1年目の開幕戦から遊撃手のレギュラーとして試合に出場します。田口は、デビュー戦となった開幕戦で、ショートゴロを捌いた際に一塁への送球が高めに浮いてしまい、その影響からか、イップスに陥り失策を続けてしまいます。ドラフト1位で入ったプレッシャーもあったのでしょう。後のインタビューでは、内野でプロ入りして、キャンプ3日目でイップスにかかったと語っています。ドラフト1位レベルでも突如襲ってくるイップスに苦しめられてしまうものなのです。
3年目の4月に外野へ転向し、イチローらと鉄壁の外野陣を築き、2002年からは海を渡り、2006年にセントルイス・カージナルスで、2008年にはフィラデルフィア・フィリーズでワールドチャンピオンに輝きチャンピオンリングを2つ手に入れています。
外野転向後に打撃開花!平成の安打製造機”内川聖一”
大分県の大分工業から、2000年にドラフト1位で横浜ベイスターズに入団した内川は、現在でこそ首位打者争いの常連で、レフトを守っている姿が当たり前ですが、入団当時はショートを中心とした内野手でした。2002年から、一軍に定着し内野手として試合に出始めます。打撃は好調でしたが、守備が安定しないためレギュラーを掴み取るには至りません。
その後、2007年に外野に転向します。これは外野を守っていたレギュラーの多村が移籍するなどチーム事情もありますが、二塁から一塁への短い距離ですらうまく投げられないほどイップスに苦しめられ、それが原因で外野への転向となりました。
外野に転向後は、右打者最高打率となる.378で首位打者を獲得し、その後、福岡ソフトバンクホークスに移籍した初年度には、史上二人目となるセパ両リーグで首位打者となります。
イップスに悩まされることがなくなったから吹っ切れたのでしょうか。2008年から2014年まで7年連続3割という記録も打ち立てています。
イップスに苦しめられ、守備位置をコンバートされるも見事に成功を収め、球界を代表するプレーヤーとなった田口と内川。こういった名選手でも苦しめられてしまうのがイップスです。イップスは隠し通されることも多いため現役の選手でもまだまだいるでしょう。困難に打ち勝って名選手になってほしいものです。
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