イップスに苦しんだ野球選手 荒木雅博

荒木 雅博(中日ドラゴンズ):イップスといわれることが意外な名手

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イップスとは、プロ、アマ問わずスポーツ選手に多く見られる、いわば心の病です。プロゴルファーでパッティングができなくなったり、テニス選手がフォアハンドを打てなくなったりしますが、プロ野球選手でも実はよくあります。意外に思われるかもしれませんが、荒木選手もイップスに苦しんだ選手の一人です。

究極のコンビ「アライバ」

荒木選手と言うワードで、イップスとは、とても似ても似つかわしいと思う方の方が多いと思います。荒木と言えば、井端弘和選手(中日→巨人)とともに中日の二遊間を組んで、アライバと称された守備の名手です。

2004年から2009年までの6年間、荒木がセカンド、井端がショートのコンビ二人でセリーグのゴールデングラブ賞を独占していた程です。鉄壁と言う表現がまさにあっている守備は、当時12球団一とも言われており、相手チームにとっては脅威だったに違いありません。センター前に抜けようかと言うゴロを、セカンドの荒木がバックハンドで好捕し、流れるようなグラブトスで井端に渡して、さらにすぐさま井端が一塁へ送球してアウトをとるなんていう職人芸がYouTubeで紹介されているほどです。

その守備の名手が、なぜイップスになったのか?断っておきますが、本人が認めたわけではありません。外から見ていて、そう思ったにすぎませんが、実際数字にも表れています。

まさかのアライバコンバート

輝かしい守備での実績を誇る二人でしたが、当時の落合監督は2009年から両ポジションをチェンジする、いわゆるコンバートを計画していました。井端の調整遅れにより、見送られましたが、2010年には本格的にコンバートされます。監督としての狙いはたくさんあったとされています。新しいポジションへの挑戦で各々にさらなる成長を促すこと、チームの将来を考えた時にショート井端の後釜が見当たらなかったことなど、と言われています。確かにチームを常勝軍団にするためには必要なメスだったのかもしれません。

しかし結果的には、荒木のイップスが発症してしまうという事態に陥ったように見えてなりません。井端は亜細亜大学時代からショートをやっていましたが、当時の監督が「この子本質的にはセカンドだよ、ショートじゃないよ」と言っていたそうです。その言葉通り、セカンドでもしっかりと実力を発揮しましたし、中日退団後の巨人時代も、内野すべてを守れるユーティリティプレイヤーとして活躍したことも記憶に新しいです。

ところが、ショート荒木が思惑通りにはいきませんでした。開幕前に怪我をしたことが影響したのかもしれませんが、スローイングが安定せず、その年20失策を記録してしまいます。ゴールデングラブ賞を獲得していた6年間合計の失策が56(年平均9.3)だったわけですから、いかに多くなったかがわかります。荒木はショートを翌2011年も続けますが、失策数は17と前年に比べて減りはしましたが、安定感は戻りませんでした。結果、2009年を最後に荒木がゴールデングラブ賞を獲得することはありませんでした(井端は、2012年にショートで獲得)。2012年からお互い再コンバートされますが、荒木はセカンドに戻っても、失策数15からわかるとおり安定感を欠いた状態は続きます。加齢からくるところも大きいですが、打撃についても2011年以降は低迷が続いています。

プロの世界に、「たられば」を言ってはいけませんが、あのコンバートが無ければ、もしかしたら、もう少し変わったプロ野球人生になっていたかもしれません。セカンドとショートでは、視野も違えば、スローイングする距離も異なります。当然、精神面も影響するスポーツだけに、色々と葛藤もあったのかもしれません。

現在は、若い世代も台頭しており、出場機会も少なくなってきた荒木選手ですが、あと110本に迫った2000本安打に向けて最後にひと花咲かせてほしいと一番思うのは、落合さんかもしれませんね。

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