イップスという言葉をご存じでしょうか。
イップスとは、怪我をしたりして肉体的にスポーツの動作が難しくなるのではなく、
「精神的なことが原因」でスポーツに必要とされる動作が難しくなってしまう症状のことです。
いつもなら易々とできるプレーが全くできなくなったりする運動障害です。
このイップス。今では様々なスポーツで使われている言葉ではありますが元々はゴルフ用語でした。
今回は、そんなイップスに苦しんだゴルファー達をご紹介していきます。
トミー・アーマー(Tommy Armour)
1868年に亡くなったプロゴルファーのトミー・アーマーさん(スコットランドにあるエジンバラにて誕生)。
シルバースコットという別名もある彼は、1927年に全米オープンを制して優勝を果たします。
その後も1930年に全米プロ優勝、1931年にはまた全米オープン優勝を飾りました。
ティーチングプロになった彼は多くのプロから人気がありました。
そんな彼もイップスに悩まされていたそうです。
宮里藍
誰もが知っているプロゴルファー・宮里藍さん。
彼女もトミー・アーマーさんと同じくイップスに悩まされたプロゴルファーの一人です。
しかも、宮里さんの場合は二度もイップスに苦しめられたんだと言われています。
1度目は米ツアーに参戦した当初のこと。ドライバーをうまい具合にコントロールすることができなかったようです。
そして二度目のイップスになったときは、「パットのインパクトの瞬間が怖かった」とのこと。
世界ランク1位のときにはパットを武器にしていた宮里さんでしたが、イップスを患ってからはパットのストロークが以前よりもできなかったようです。
イップスになる原因は様々なものがありますが、彼女の場合は愛用していたパターが壊れたため新しいパターを試した際に感覚が合わなくなってしまったこと。
やはり愛用しているものというのは愛着もありますし、安心感もあります。そのため、他のパターを使うことに対して不安を持ってしまった可能性があるかもしれません。
パットを外してしまうことで、観客から溜め息を吐かれることも多くありました。
イップスが治る目安というのは存在しません。そんな中、宮里さんは試合に出続けて結果を残さなければならない。かなりのプレッシャーだったはずです。
どうにか状況を打破しようと、試合の前後、繰り返しパットの練習をおこなっていた彼女。
真面目だからこそ、思い詰めてしまってイップスにかかってしまったのかもしれませんね。
ちなみに現在はイップスを克服し、ライン読みの精度を上げていく段階に入っているとか。
迷いがあるときはミスを避けるために寄せにいってしまっていたけれど、今はアグレッシブに打つことができているそうです。
この記事では、イップスに苦しんだ国内、海外の名ゴルファー2人、宮里藍さん、トミー・アーマーさんを紹介させていただきました。
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