挫折を成功に変えたプロ野球選手達!

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華々しいプロ野球の世界ではありますが、誰しもが順風満帆というわけではありません。どん底まで落ちた選手もたくさんいます。プロ野球の世界だからこその苦悩もあります。この記事では、挫折を成功に変えたプロ野球選手を2名ご紹介します。

ノーコン投手から3割打者へ!”雄平”

http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2014/11/06/post_474/

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2015年10月2日、延長11回裏にヤクルトスワローズ14年ぶりの優勝を決めるサヨナラタイムリーを放った雄平は、プロ野球の世界で一度挫折を味わった男です。

 

ダルビッシュの母校でもある東北高校から、ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団し、1年目から27試合に登板し5勝を挙げます。しかし、それと同時に、102イニングしか投げていないにもかかわらずセリーグ最多の12個の暴投を記録してしまいます。さらに4年目には、1回で3個の暴投を記録するなどノーコンぶりが更に目につくようになります。制球力を上げるためにフォーム改造をしますが、持ち前のスピードが出なくなり2009年のオフに、投手としてはプロでは通用しないという烙印を押されます。

そこから、投手ではなく打者としての、雄平の努力が始まります。2011年のイースタン・リーグでは打率.330を記録。そして、2012年に打者として初めて、1軍開幕を迎え、2014年には打率3割を記録しました。その翌年2015年には、優勝決定タイムリーを放つなど、投手時代より輝かしい成績を残しています。

 

並の選手であれば、ドラフト1位投手というプライドが邪魔をして、挫折したと同時に引退をしていたかもしれません。諦めずに努力をすれば、花開くということを雄平は教えてくれたといえます。

戦力外から本塁打王をとった男”山崎武司”

http://yagikeieioffice.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-0efd.html

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”ミスターイーグルス”と名乗れる男は山崎武司のあとに出てきていません。東北楽天ゴールデンイーグルスの創設期を、4番として支えたこの男は、中日ドラゴンズでプロ入りし、本塁打王まで獲得する活躍をした後、2002年オフにトレードでオリックスへ移籍しました。そのオリックス・バファローズで、初めての挫折を味わいます。

2004年、オリックス・バファローズの伊原元監督と馬が合わないこともあり、成績を残せず、オフに戦力外通告を受けます。本人も悩みに悩み引退まで考えていましたが、当時、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督であった田尾監督から評価され、現役続行を決断します。

 

その後は、楽天の2代目監督である野村監督からの教えを大事にし、39歳で本塁打王、打点王を獲得するなど大活躍をします。晩年は地元の中日ドラゴンズに戻り、代打として活躍します。

本塁打王まで獲った男が、成績不振、監督との対立で戦力外通告を受けるという挫折を味わいますが、野村監督の教えと出会ったことで再度、本塁打王を獲得することになります。一度、挫折することで他の人の教えを素直に聞こうという考えに至ったのかもしれません。

 

挫折をしても諦めずに努力をし、成功に変える。言葉にするのは簡単ですが、とてもむずかしいことです。一流が集まるプロ野球の世界では尚更です。挫折してもくじけない強い心を身につけたいものですね。

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