プロ野球生活を引退した後、監督やコーチになれる選手はほんの一握りです。テレビやラジオの解説の席も多くありません。そのため、ほとんどの選手が、引退後の第二の人生として、野球以外の何かを職にします。
第二の人生で多い就職先は?
転職先で多いのはタレント、他競技への転向、飲食店経営だと言われています。明るいキャラクターで、しゃべるのが得意な板東英二、元木大介、パンチ佐藤などが有名です。
他競技への転向だと、古くは、ジャイアント馬場こと馬場正平がプロレスラーに、ジャンボ尾崎こと尾崎将司がプロゴルファーになっています。
飲食店経営者も数多くいます。有名なところですと、元広島カープの金石昭人は、麻布に鉄板焼き屋を2店舗と寿司屋を営んでいます。また、同じく元広島カープの長内孝も、広島市内で居酒屋を営んでいます。飲食店は、お金があれば始めやすいということもあり、多くの選手が第二の人生で選んでいます。
近鉄の4番から政治家に転身した石井浩郎
石井浩郎は早稲田大学時代に、日本代表にも選ばれ、社会人のプリンスホテル在籍中に、同じく日本代表になり、今度は4番を努めます。1989年、ドラフト3位で近鉄バファローズに入団し、1年目から22本のホームランを放ちます。1994年には打点王に輝くなど、近鉄の4番として君臨します。その後、読売ジャイアンツ、千葉ロッテマリーンズ、横浜ベイスターズと渡り歩き、2002年オフに引退します。
引退後は、解説者を務めていましたが、2010年、地元の秋田選挙区より自由民主党の公認を得て、参議院選挙に出馬し、見事当選します。自由民主党では、教育・文化・スポーツ関係団体委員会委員長を務め、2016年1月には、参議院文教科学委員長に就任します。次回の参議院選にも出馬するのか注目です。
V9時代の名脇役から亀屋万年堂の会長へ”国松彰”
国松は、ON(王・長嶋)がいたV9時代の名脇役として活躍します。投手として入団後、4年目に打者に転向し、タイトルとは無縁でしたが、俊足強肩を武器に、読売ジャイアンツの外野を固めます。主に1、2番を打ち、ONへのつなぎ役として活躍します。引退後はコーチ、二軍監督として多くの選手を育て上げます。
また、奥さんが、東京にある老舗和菓子店”亀屋万年堂”の創業者の娘ということもあり、球界引退後の1995年に同社に入社し、副社長に就任します。7年後の2002年には代表取締役社長まで登りつめ、2011年に取締役会長に就任しております。
監督やコーチではなく、野球界を離れた多くの選手は、タレントや飲食店経営になります。また、政治家や老舗和菓子店の社長になる珍しい人もいます。プロ野球の世界で一生を終える選手はごく僅かですので、第二の人生は、野球界以外に求めることが多いです。もしかしたらあなたの身近にも元プロ野球選手がいるかもしれませんね。
コメント