マッキンゼー出身で元ミクシィCEOの朝倉祐介の経歴と現在の職業

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異色の天才!?努力家!?

中学を卒業後オーストラリアの騎手養成学校に入学し、体格の問題で同校を去らざるをえなくなり日本に帰国。

北海道の競走馬の調教助手を目指すものの、バイクの事故で競馬の道を断念。

その後、大検を受けるために専門学校に3年通い東大法学部に20才で入学。在学中にIT企業を起業し、大学卒業後、米大手コンサルタント会社マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。

3年の就業後、東大在学中に起業したネイキッドテクノロジー社に戻り、同社を(株)ミクシーに売却したところを機に(株)ミクシーに移籍。

執行役員、経営企画室長を経て、株)ミクシーの立て直しを図るために同社社長に就任。

(株)ミクシーを立て直した直後、代表取締役社長を退任。そしてその後は・・・・・・。

このような異色の経歴を持つ、朝倉祐介さんをご紹介致します。

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朝倉祐介さん プロフィール

【略歴】

・1982年 兵庫県西宮市生まれ

・1997年 中学卒業後、単身でオーストラリアクイーンズランド州の競馬騎手養成学校入学

・体重、身長の問題で1年後帰国。 ※身長が伸びすぎて騎手として断念・・・。

・帰国後、北海道で競走馬の育成業務に従事

・2003年 20才にて東京大学法学部入学

※高校ではなく専門学校で大検を取得して東大合格

※在学中にIT起業ネイキッドテクノロジー起業

・2007年 東京大学法学部卒業

・2007年 マッキンゼー・アンド・カンパニー入社

・2010年 東大在学中に起業した、ネイキッドテクノロジー社に社長兼CEO就任

・2011年 ネイキッドテクノロジー社を(株)ミクシーに売却し、自身も入社。

・2013年 同社社長に就任

・2014年 同社代表取締役社長退任

・2014年 スタンフォード大学客員研究員に就任

・2015年 RakSul社外取締役就任

朝倉祐介さん異色エピソード

競馬騎手を目指し東京大学に入学するまで

ただ、単純に競馬騎手に憧れがあった・・・と、言うだけでなく、騎手は自分の腕で食っていけると言う職人的な生き方が出来る。そして、海外でも活躍出来る!と中学生時代から考えていたそうです。

当時は、いい高校、いい大学に進学して大きな会社に入る・・・・と言う事が、自分の尺度ではなく、人の尺度ではないのか?と疑問を持ったことがこの職業を選択したきっかけになったと、言います。親からは反対されるものの、思ったら即行動!の考え方はこの時代から形成されていたようです。オーストラリアの騎手養成学校の資料を取り寄せ、願書をFAXで提出。ご両親を説得して中学卒業後、単身でオーストラリアに渡りました。

しかし、競馬騎手という世界は自分の努力だけでは報われない条件があり、騎手になる条件とは、身長160センチ。体重45Kキログラムが相場であったそうです。

しかし、朝倉祐介さんは、175センチまで身長が伸びてしまったそうです。自分の身長を止める為に、1日食事のカロリーを1000キロカロリーまで落とし、体脂肪率3%まで落とし、栄養不足にしたにも関わらず、身長が伸びるのを止められなかったと言います。

志半ばでの夢を断念し、1年後に帰国致します。ここで朝倉祐介さんは1回目の挫折を味わう事になりました。

帰国しても、競馬に関わる仕事を諦め切れなかった朝倉祐介さんは、調教助手の仕事が北海道浦河町にある事を見つけ、オーストラリアから北海道に渡り、『馬のいない生活は考えられない』との事で競走馬の育成の仕事に従事することにしました。

朝倉さんはとても充実した日々を送っていたそうです。当時、あの名馬『メジロマックイーンの子供』を担当していたそうです。当時若干16才。

しかし、ここで不慮の事故を起こしてしまいます。

バイクの運転中、浦河町付近の路上カーブに停まっていた車と激突し、瀕死の重傷を負ってしまったそうです。左足の大腿骨と下腿骨を両方粉砕骨折してしまい、複雑骨折よりも重傷だったそうです。後遺症は今でも残っているようです。

ここで、朝倉さんは自分が歩んだ道を思い返し一度、大学に行った方がいいかもしれないと、漠然と思いが沸いたそうです。調教助手を目指していたにも関わらず・・・。

朝倉さんは、ここで2回目の挫折を味わうことになってしまったのです。

そして、1年半ぶりに実家の兵庫県西宮市に戻ります・・・・・。

実家に戻った朝倉さんは、元々本を読むことが好きな性分であったため、勉強するのが好きだった様です。高校入学ではなく、大学受験資格をもらえる専門学校を選び、3年間猛勉強に励みます。

北海道大学の獣医学部に進みたかったようですが、数学が得意ではなかったらしく志望先を断念。

東京大学にどうしても入学したかった訳でもないが、勉強するのは好きだったから…と言う事で、東京大学法学部への入学を20才で果たします。

ところが、入学当時周りの同級生は皆現役合格で入学した年下ばかり。自分は2浪で入学した計算になるため『焦燥感が強かった』と振り返っています。

朝倉さんの夢の実現の2度に渡る挫折と、大学入学当初のコンプレックスが後の起業や人生の転換期の行動などに影響を及ぼす事になった訳です。

朝倉祐介さん、成功人生と今後の動向

朝倉さんは、馬と、自分の関係の中で組織と言うものを自然に学んでいった様です。

馬の叩くタイミングや、馬の気持ちを理解してあげないといけない事、馬を思い通りに動かすにはどういう考えと気持ちなのか。と言う事を学んでいたおかげで、組織や社員の気持ちを理解し、(株)ミクシーの再生を成功させました。

現在、スタンフォード大学の客員研究員として新たな分野の研究をしているようです。

中学時代から、世界に身を置くことを考え、グローバルな活躍を目指していた彼には、我々が考える安定した地位で止まるような事は考えず、競争馬の様に走り続けるのだと思います。

やりたい事をやらずに後悔するよりも、挑戦する毎日の方が楽しい・・・・。

朝倉祐介 語録